今朝からうっすらと頭が痛い。


頭痛薬を飲むほどではないのでなんとなくやり過ごして来たけど、これは痛いのかもしれない。

頭痛薬を飲まないとやってられない時の痛みがポケモンのガブリアスくらいの強さだとしたら、今の痛みはカメックスくらい。まあまあ強いのかもしれない。カメックスもガブリアスも実際どれくらい強いのかは知らない。ポケモン対戦なんてやったことがないから。


今バスに揺られている。このまま予定通りにバスが動くと約束の時間より30分ほど前に着きそうだけど、30分遅く着くより30分早く着いていた方が気が楽なので良しとする。

わたしには意外と常識があるので、もちろん遅刻は良くないことだと思っている。しかし遅刻にもそれぞれのっぴきならない事情があったり、単純に寝坊の遅刻だってそれ自体を責めても遅刻したという事実は変わらないので世間で言われているほど遅刻に対して悪いイメージがない。ないのだけど、これはきっとわたしがたま〜に遅刻をしてしまうから庇うためにそう思っているだけなのかもしれない。


当然わたしには常識があるので、遅刻をしてしまう度にああ本当に良くないなと反省している。そして繰り返さないように己を律している。


しかし遅刻は遅刻なのだ。ぺこぱのように遅れた時を戻すことはできない。遅刻をした本人は当然反省するべきだけど、遅刻をしたという一点を見てその本人の人間性まで痛烈批判する必要ってあるのかな〜。


罪を憎んで人を憎まずじゃないけど、でも思考はその人じゃないと生まれないものなので一緒くたに考えるのも間違ってないと思う。

SNSで良くない発言をした人を鬼の首を取ったように好き勝手罵詈雑言を飛ばすのはそれはやりすぎだぞ…と肩をポンと叩く謎のおじいさんに気持ち的にはなっています。


ま〜た答えの出ない堂々巡りの考え事をしてしまった。こんなのはただのお気持ち表明でしかなく無駄じゃボケ!ふと目線を窓の外に向けるとちょうど川があって、鴨らしき姿が見えた。


鴨だ。


都会にも生き物は意外といる。この間は綺麗な蝶々も見た。鳩やカラスなんかじゃない鴨とか白鳥くらい大きな水鳥も水辺でたまに見かける。


バスの窓から見える鴨はちょっと不思議だった。

鴨を見ているとそれまで延々と繰り広げていたしょうもない考え事はすっかり忘れてしまい、今見ている鴨は本当に鴨かな、とかを考えていた。


でも今改めて考えるとあれは鴨じゃなかったかもしれない。

鴨みたいに見える石とか、草とかの塊とか、とにかく鴨じゃなかった気がする。バスの窓越しに見る鴨にしてはサイズがちょっと大きかったし、あんまり動いてなかったし。


あれが鴨じゃないにせよ、鴨(仮)のおかげでぐずぐずとした状態から立ち直れたので、わたしはあの鴨(仮)に感謝する。